「妻なんだから」「母なんだから」「長女なんだから」──そういう言葉で、自分の本当の気持ちに蓋をしたこと、ありませんか。

私は、ありすぎるくらいあります。

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私は宮崎の、いわゆる「九州男児」の家庭で育ちました。

父は建設会社を興した厳格な人で、意見をすれば大声で怒鳴り、家には木刀が置いてあった。茶碗が飛んでくるのも日常で、「熱い味噌汁が入ってなくてよかった」と思ったことも一度や二度じゃありません。

でもね、誰よりも朝から晩まで働いて、家族と社員を養うことに大きなプライドを持っていた人でもありました。今は経営者の先輩として、心から尊敬しています。

そして母は、そんな父を支え、四人の子どもを育て、会社の切り盛りまでこなしていた人。疲れ切ってお風呂の湯船に浸かったまま寝ていることも珍しくなかった。布団で寝ているのを見たのは、病に倒れてからかもしれません。

愚痴を言わない。前に出ない。でも、いつも私たちの味方でいてくれた。

そんな両親を見て育った私には、知らず知らずのうちに、ひとつの「役割の型」が刷り込まれていました。

自分のことより周りを優先する。我慢するのが当たり前。女性は支える側。

それ自体は、尊い生き方だと今でも思います。でも問題は、私がそれを「自分の本来の性格」だと勘違いして、「私の気持ち」を出すことにブレーキをかけ続けていたことです。

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建設現場で「女が来るな」と言われても黙って耐えた。婦人科疾患で苦しくても「大丈夫」と言い続けた。結婚しても、夫の価値観に合わせて自分を削った。

いつの間にか、私は自分の人生の「主人公」じゃなく、誰かの人生の「脇役」になっていたんです。

気づいたのは、子宮を摘出したあとでした。「母として、妻として、社会が求める役割として──誰かから見た自分で、ずっと生きてきた」って。

主語がずっと「お母さん」「奥さん」「先生」で、「私」がどこにもいなかった。

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あなたが感じているモヤモヤや息苦しさ。それは「わがまま」なんかじゃありません。

あなたの心が「本当の私を生きたい」と叫んでいるサインです。

心理学では「境界線(バウンダリー)を引く」と言うそうですが、他人の期待と自分の幸せを切り分けることは、冷たいことじゃない。むしろ、自分の幸せに責任を持つことが、結果的に周りの人の自立を助けることにもつながるんです。

私は二度離婚しました。それは「私はどうしたいの?」という問いに、初めて本気で向き合った結果でした。

痛みを伴う決断だったけれど、仮面を外して「自分」として立ったとき、子どもとの関係も、仕事で出会う人との関係も、驚くほど深くなりました。

あなたの人生という物語の主人公は、あなたです。

今日、ひとつだけやってみてほしいことがあります。何かを頼まれたとき、すぐに「いいよ」と言う前に、3秒だけ間を空けてみてください。

その3秒で、「本当にやりたい?」って自分に聞いてみる。それだけで、あなたの物語は少しずつ、あなたの手に戻ってきます。