40年以上、私は「自分がどうしたいのか」という問いと、向き合ったことがありませんでした。

父は九州男児で、とても厳しい人でした。建設会社を経営していて、社員も70人まで増やした。

その父の下で育つということは、「男が決めたことに従うのが当然」「女は黙ってついていくもの」「自分の気持ちなんて後回し」という価値観に、自動的に組み込まれるということでした。

母は、そんな父を支えるために、本当に献身的でした。文句も言わず、自分の気持ちも出さず、ただただ家族のために生きていた。

その母を見て育つということは、「女性とはそういうもの」という刷り込みでもあったんです。

そして、大人になって、結婚した。夫の人生設計に合わせ、夫が決めたライフプランに従い、「自分がどうしたいのか」という問いは、どんどん小さくなっていきました。

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子宮を失うまで、私は「自分の欲求」というものを、本当に感じることができませんでした。

「今、何をしたい?」と聞かれても、「えっ?」という感じでした。

社会が要求することに応えることが、それが「正しい生き方」だと思い込んでいたから。

40代で、やっと変わりました。子宮を失うその瞬間、医者から告げられたのは「もう、妊娠はできない」という事実でした。同時に、何か大きな「足かせ」が外れた感覚もありました。

その後、離婚を決めたとき、初めて自分に問いかけたんです。「私は、本当は、どうしたい?」

そして、ようやく、小さな声が聞こえてきた。「本当の私として、生きたい」。その一言です。

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その決心を象徴するようなことが、ありました。フルマラソンに出場したときのこと。走っている最中、ふと気づいたんです。

「あ、今、自分の足で、自分のペースで、自分の道を進んでいるんだ」って。

周囲の声も、社会の期待も、一旦、すべて消える。ただ、自分の呼吸と、自分の足の運びと、向かっている方向だけが、現実。

その時間の中で、初めて「これが、本当の私だ」という感覚を得たんです。

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子宮を失うことで、「もう、女性としての社会的役割を果たす必要はない」という、ある種の解放感が生まれたのかもしれません。

それが、後ろ向きに聞こえるかもしれませんが、実は、最も前向きな転機でした。

なぜなら、そこから初めて、「私は、私の人生を生きていい」という許可が、自分に下りたから。

今、私の元に相談に来る女性たちに、最も多い悩みが、実は「自分が何をしたいのか分からない」ということです。

30代、40代、50代の女性たちが、口々に「私の欲求が何か、もう分からなくなってしまった」と話します。

それは、社会の中で、女性という役割を演じ続けることで、本来の自分が、どんどん小さくなってしまう現象です。

「どうしたい?」という問いを、もう一度、自分に問い直すこと。その勇気を持つこと。それが、本当の意味での「女性の元気」につながるのだと、今、確信しています。