双子の妊娠は、ハイリスク妊娠でした。母体の負担が大きいから、安静が必要。そして、夏の間、私は病院の個室に入院していました。
その部屋は、完全に外界と遮断されていました。季節のリズムが感じられない、スチール製のベッドと、化学薬品の匂いだけの空間。
毎日が同じで、時間が止まっているような感覚。外がどうなっているのか、季節がどう移り変わっているのか、本当に分からなくなってくる。
そういう状況が続いていたある日のこと、ふと部屋の小さな窓が開かれました。その瞬間、金木犀の香りが、ふわっと入ってきたんです。
◇ ◇ ◇
あの香りを嗅いだとき、私は泣きそうになりました。
「ああ、季節は確実に進んでいるんだ。夏から秋に、ちゃんと移り変わってるんだ」。その現実に、心がぐっと揺さぶられました。
病院の密閉された空間の中にいると、時間が停止している感覚に襲われます。
「いつまで、この状況が続くんだろう」「本当に、外の世界に戻れるんだろうか」という不安と、「今、この瞬間だけは、動かない」という諦念が、入り混じります。
でも、その金木犀の香りは、「時間は確実に動いている」「季節は確実に進んでいる」「だから、今、ここで何が起きようと、その先に秋があり、冬があり、春がある」ということを、私に教えてくれたんです。
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その瞬間、初めて、「今を生きる」ということの意味が分かりました。
病院ベッドの中で、双子を守りながら、毎日、身体の変化と向き合う。その「今」は、確かに辛い。
でも、その「今」は、何か大きな流れの中の、ほんの一部でもある。秋は確実に来て、そのあとに、新しい季節がやってくる。
「今を生きる」というのは、「今の瞬間に、全部を解決する」という意味ではなくて、「今、この瞬間を、丁寧に生きる。そして、時は確実に進んでいくことを信じる」ということなんだと思います。
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今でも、毎年秋になると、金木犀の香りが届く季節が来ます。その香りをかぐたびに、あの病院のベッドのことを思い出す。
そして、「あの時間も、私の人生の一部なんだ」「あの時間があったから、今の私がいるんだ」という想いが、よみがえります。
辛い時間も、苦しい瞬間も、それは「終わらない苦しみ」じゃなくて、「時の流れの中の、一つの季節」なんだということ。その認識が、本当に、私の心を支えています。
今、私が女性たちに伝えたいメッセージの中に、「今を生きることの大切さ」があります。社会の期待に応えることも、未来を計画することも、大事です。
でも、それと同じくらい、「今、この瞬間を、どう生きるか」ということが、人生の質を決めるんだと思うんです。