朝、家族が出かけたあとの静かなキッチンで、冷めたコーヒーを飲みながら、ふと思ったことはありませんか。「自分の人生って、本当に自分のものなんだろうか」って。

四十年間、私は「○×」という物差しで、自分の人生を測ってきました。良い選択か、悪い選択か。正しいのか、間違っているのか。その二項対立の中で、ずっと生きてきたんです。

父は九州男児で、建設会社の社長でした。「できたかできなかったか」「結果を出すか出さないか」。

その「○×」の世界で、ビジネスも人生も構成されていた。子どもの頃から、私はその物差しを自分の中に取り込んでいきました。

建築士になるとき「これは○」、結婚するとき「これは○」、子どもを産もうとしたとき「これは○」。

でもね、今振り返ると、あのとき私は「女であること」を少しずつ棚の上にしまっていたんです。父の「○×」という物差しに自分を合わせるために、本当の自分の声を、どんどん小さくしていた。

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母は違いました。いつも静かに、言葉少なに、ただ側にいてくれた。その優しさは、大人になってから初めて理解できた。

父のような厳しさはなくても、母の存在そのものが、ある種の「○」だったんです。

結婚するときも、「良い結婚」という外部の物差しを優先させました。相手の経済力、社会的地位、家柄。全部が間違っていたわけじゃない。

でも、そこに「自分は何をしたいのか」「一緒にいて楽しいのか」「この人となら、どんなふうに人生を歩みたいのか」という問いが、なかったんです。

子宮腺筋症で十三年苦しんだときも、ずっと「○×」の物差しで自分を測っていました。「早く治そう」「子どもを産もう」「良い妻でいよう」。

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医者も「妊娠できたら治るかもね」、周囲も「子どもはまだ?」、社会も「母親になるのが幸せ」。全部、他人が決めた「○」か「×」でしかなかった。

そしてね、ここが一番伝えたいところなんですけど──

その「○×」に自分をあてはめようとして、どんどん壊れていったんです。

転機は、Kindleで読んだ本でした。『子宮を失って 私は私を取り戻した』という本。そこにあった四つの問いが、身体を貫きました。

「あなたの幸せの物差しは、何ですか」

「どう生きたいですか」

「どう在りたいですか」

「そして、どう死にたいですか」

その問いの前で、初めて、自分の人生を手放してみました。「子どもたちの幸せのために、自分を捨てるのか。親の親の親の何代も前の『○×』に、今の私の身体が壊れるのか」。

子宮を取りました。

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その手術をしたとき、医者は言いました。「よく十三年も、この身体で頑張りましたね」。初めて、私は「○」をもらった気がした。そして、ようやく気づいたんです。

「○×」じゃなくて「△でいい」んだ、って。

今の私の幸せの物差しは、こうです。朝、息子たちが「おはよう」って言う。その声を聞いて、なんとも言えない喜びを感じる。

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誰のためでもなく、自分のために「これをしたい」って思えることができた。完璧じゃなくてもいい。ここにいることで、誰かが喜んでくれる。

それで十分だ。

あなたの幸せの物差しは、誰が決めましたか。

もし、その物差しを持っている相手が、もう、あなたの人生にいなかったら。相手は生きていても、でも、「その人のための人生」を終わらせる時期が来てたら。

その物差しを、そっと、置いていくことができるんだと思う。

そして新しい物差しを、自分で作ることができるんだと思う。